コース中の聖なる沈黙(指導者との面談と、コースマネージャーに必要な時以外、一切誰とも口を聞いてはいけないというルール)と、スマホもPCもないという環境が、瞑想的にはものすごく良かったのだと、帰ってきて改めて実感する。


(向こうでは一切の筆記やメモ等も禁止なので、帰ってきてすべてが終わってから今これを書いている)


部屋は5人部屋だが「もう消灯していいですか」などの声かけすら禁止。目を合わせることも禁止。人と洗面所を譲り合うときの会釈なども禁止。

これをやってみると、人に気を使わず、自分の内側を観察し続けることの重要性が身にしみて理解できる。


10日後、聖なる沈黙が解かれてから、ちょっとした洗面所の譲り合いのようなシーンですら、いかに思考が消耗されるかを実感できた。


自宅に帰ってからも朝晩1時間ずつの瞑想をルーティン化しようと試みているが、やはり、整えられた環境でやるのと家でやるのとは、全然違う。朝晩ちゃんと瞑想しているのに、いまいちスッキリ感が得られない。しかもなぜか疲労感や気分の落ち込みがある。それは何故だろう?と、自分を観察してみる。


ダンマバーヌでのヴィパッサナー瞑想では、好ましい感覚も嫌な感覚も、すべては「生まれ、消え去る」という性質があることを完全に理解しなさい(アニッチャを悟る)と指導される。

好ましい感覚にも、嫌な感覚にも、反応せず、平静でいること。好ましい感覚も、嫌な感覚も、あるがままに、微笑んで、受け入れなさい、と。


自宅に帰った今、思ったように集中できないことへのイライラや焦りがある。これがあること自体は、容易に自己観察できる。

しかし、その感情の元となっているのが「ダンマバーヌでは集中できてたのに」という、過去に体感した心地よさへの渇望と執着であることに気づいた。もう一度、家でもそれを再現しようとして、頑張り過ぎていたのだ。


よくぞ気づいた、自分。それに気づいてから、面白いように感情の落ち込みから脱出できた。


気づく手放す。気づいた時点で自動的に脳の中で手放しが始まっている。気づいたら脱出できる。気づかない間は呑まれ続ける。これが瞑想で得られるリアルな効果だ。


人は誰でも悟れる。神を崇める必要はない。宗教や自分を縛る観念から自由になり、自分が自分の体に起こり続ける素粒子の変化に気づくだけでいい。宇宙と繋がるとはそういうことだ。それがブッダの教えだ。やっぱりブッダはクールだ。あまり歴史に興味のない私だが、歴史上の人物で唯一心ときめくのがブッダだ。宗教上祀られている彼ではなく、人間としての彼に惹かれる。

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父の代から続く手塚治虫の漫画本。ボロボロ笑

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理論上、私もブッダになれる。しかし、その道のりは長い。果てしなく長い。生きているうちにどこまでいけるか。


そんなことは分かっていたはずだが、ダンマバーヌでの10日間を体験してから「思ったより早く悟れるかも」という大いなる勘違いをしてしまった。笑。しかも「この体験を絶対に活かさなければならない」という、新たな戦い囚われを自ら生み出していた。残念ながらそれが自分という人間だ。


一旦、今の自分のすべてをあるがままに受け入れよう。そして、なるようにしかならないことを受け入れよう。私も、私の素粒子も、一瞬一瞬、変化している。うまくできる日もあれば、できない日もある。状態に囚われることは無意味だ。あるがまま、あるがまま。


さて。


ダンマバーヌでのヴィパッサナー瞑想10日間コースの備忘録の続きを書く。

備忘録と言ったが、書く目的は、忘れないためではなく、忘れるためだ。感動と興奮をいつまでも掴んでいては、次にやってきた新しい感覚を見逃してしまう。人生は短い。掴んでは手放す。その繰り返しが人生だ。ひとつの感覚に執着するな。一旦掴んだものを放したときに、それは自分の人生の栄養となって統合されていく。

言い換えれば、私がこの体験への熱から冷めてフラットになったとき、私とヴィパッサナーとの信頼関係がいかほどのものかが分かるだろう。


そして、書く目的はもうひとつ。これを読んだ人と、私が得た福徳を分かち合うためだ。


前回までの記事

その1
 


その2
 


↓ここから、その
3


7日目   父の苦しみ〜自分からの解放〜


6日目を過ぎると、だいぶ心に余裕が出てきた。日中の瞑想も穏やかに安定的になってきている。このままゴールまで滞りなくいきたい。


瞑想の効果や潜在意識が調整される実感というのは、瞑想中ではなく、それ以外の時に訪れる。このコース中はなぜか夜中に訪れる。日中はほぼずっと瞑想しているから必然的に夜中になるのか。


7日目の夜中のこと。16年前に他界している父が夢に出てきて、例の、半分夢で半分リアルな内的体験をした。


少し父のバックボーンを説明しておく。父は45歳で脳出血で倒れてから約10年間、車椅子と寝たきりに近い状態で生きた。私の著書や過去のブログをよく読んだ人は知っているかもしれないが、父は先代から続く墓石屋を営む石工職人だった。しかし、若い頃からアルコール依存があり、その人生は重く苦悩の多いものだったようだ。

亡くなる少し前、「生まれ変わったら何になりたい?」というようなことを尋ねたことがあった。父は「本当は石屋なんてやりたくなかった。次は、長渕剛みたいなミュージシャンになりたい」と言った。

そう、父はアーティストタイプの人間だった。アーティストにとって、家族を守るために収入を得なければならない、という現実は、苦悩そのものだ。その苦しみは、今の自分には痛いほど理解できる。しかし同時に、自分の人生を諦めて家族の犠牲をやるという選択肢しか、本当になかったのだろうか?もう少し上手く、楽しく、家族とも調和しながら、喜びと共に生きる方法はなかったのだろうか?とも思う。


話を戻す。死ぬ少し前の、病院のベッドで色んな管に繋がれている父の夢だ。なぜか私がダンマバーヌの10日間コースを終えて帰ってきた設定になっている。夢では、父がこのダンマバーヌに行くことを「危険だからやめておけ」と心配していた。

私は、父の病室を訪れ「ただいま。ほら、無事帰ってきたやろ?」と言いながら、父の体を拭きはじめた。体の下に敷いてあるパッドが血や汚物で汚れている。病院の器械に繋がれた管やら何やらが抜けないように注意しながら父の体を起こし(実際はこんな状態で体を起こすことはなかったと思うが)、車椅子に乗せようとしていた。

そして、私が車椅子を押して歩き始めると、父が私の方を振り返って「そうやな。楽しまなあかんな」と言った。私は、その言葉が嬉しくて、思わず父を抱きしめた。生前の父の口から「楽しい」とか「楽しもう」という言葉を聞いた記憶はない。いつも世の中や何かを批判していることが多かった。

生きることを楽しもうとした父を抱きしめながら、愛おしさが溢れてくる。生前、父を抱きしめたことなどなかった。そんな柄じゃないし、抱きしめるなんて胡散臭いと思って、やらなかった。しかし本当は、抱きしめなかったことを後悔している。もっと優しくすればよかった。もっと愛を伝えたかった、と。

夢の中で(目が覚めてからも)、父への愛おしさで私は泣いていた。

しばらくすると、歩けるはずのない父が、私の腕からスッと立ち上がり、前方にあるドアの扉へと進んで行った。私はその後ろ姿を目で追いながら「人間は、ここまで酷い状態になっても治るんだな」と思った。

ドアの扉を開けながら振り返った父が、若い青年の姿に変わっている。青年が、何かのオーディションを受けに行くらしいことが、言葉ではなく波動で伝わってきた。そして「行ってきます」と覚悟と希望に満ちた顔で私に言いながら、扉の向こうへと消えていった。扉の向こうは明るい光で、どんな景色かはよく見えない。


ここで目が覚めた。私は、目が覚めると同時に「平静さ」と心で呟いて、妄想や想像を膨らませるのではなく、今、自分の意識に起こっている、あるがままの現実を観察するよう務めた。


目が覚めた瞬間、感覚的に、父の魂が変化した(報われた)のを感じた。こう書くといかにもスピリチュアル的で胡散臭くなってしまうんじゃないかと懸念するが、他に語彙力がない。そもそも魂という概念は人によって違うので言葉で表現することは難しいそれに、ヴィパッサナー瞑想では魂やら神を用いないことがルールでもある。

しかし、目が覚めた瞬間の私の体感をできるだけ忠実に言葉にすると「父の魂が変化した(報われた)のを感じた」としか言いようがない。


父が、自分の観念に囚われるのをやめ、自分という檻の中から抜け出し、自由になると決めた感覚。自由には責任が伴うが、その責任を引き受ける覚悟と決意の感覚。自己犠牲や依存のエネルギーの循環から抜け出した感覚。解放された感覚。

それらが、私の体中の体温を通して伝わってくる。足の裏でさえポカポカしている。

おめでとう、と思った。祝福の涙が流れ続ける。次に新しい肉体に父の魂が宿ったなら、本来やりたかったことにチャレンジしていくのだろう。


アヤワスカの時もそうだったが、父の魂が報われることと、私のヴィパッサナー瞑想修行が、無関係ではないことが、私は感覚的に分かった

量子論だったか何だったか忘れたが、時間というのは、過去も現在も未来も、同時に存在している。自分の意識が変わると、過去にも現在にも未来にも影響を及ぼす。タイムマシンなんてなくても、意識が変わると、色々なことが変化し、影響していく。


そのことを分かりやすく伝える話がある。アメリカ先住民の伝統で『自分が病から回復したら、それは、自分の前の7世代の先祖と、自分の後の7世代の子孫の病も治したことになる』というものだ。


私は乳がんによる余命宣告を受けているが、もしもこの病を治すことができれば、過去を遡って7世代のご先祖様の病と、息子や7世代後の子孫の健康に貢献したことになる。

肉体的な病にしろ、精神の病(思考のクセ)にしろ、今、私が修行をして治癒に向かうことで、先祖の魂の回復と、子孫の心身の健康に貢献できるというわけだ。簡単にいうと、病のカルマをなくす、ということか。


何はともあれ、つべこべ言わずに、私が私を縛っている自分という観念から自由になること。自分への囚われをどんどん捨てていいくこと。それですべてがよくなる。道のりは長くても、この道で間違いはなかった。淡々とこの道を行けば良い。


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◉私の中のラスボス欲求〜食への渇望〜


…続きは次回記事で。